鈴木宗男参院議員の私設秘書を務めるムルアカさんが8月30日に羽田空港からトルコ・イスタンブールに向かうトルコ航空機内で急死したと訃報が報じられます。
ムルアカさんは38年前に来日して鈴木宗男参院議員の秘書を31年務めた経歴の持ち主です。
今回はムルアカさんの経歴や活動について調べてみました。
ムルアカさんの現在の生活や活動は?

ムルアカさんはザイール(現コンゴ民主共和国)出身で1985年に来日します。
その後、衆議院議員鈴木宗男さんの私設秘書をしながら日本工業大学の非常勤講師を務めていますが、2002年に鈴木宗男さんが逮捕され、2004年7月の参議院選挙で落選した為、非常勤講師も辞めてしまいます。
その後は、しばらくは職が見つからず、一時は自給自足を行っていた時期もありましたが、外国人タレントプロダクション事業共同組合の専務理事も務めています。
現在は、現在、神奈川県の山奥で家族とともに農業で生活を営み、アフリカ野菜のンガインガイなどを畑で育てているとのことです。
現在、神奈川県の山奥で家族とともに農業で生活を営み、アフリカ野菜のンガインガイなどを畑で育てている
ジョン・ムウェテ・ムルアカ – Wikipedia
また、2009年から千葉科学の教授をされています。
2022年11月8日のムルアカさんの経歴に千葉科学大学教授と記載をされているので現在
千葉科学大学危機管理学部 保健医療学科 特担教授として活動をされているようです。
11月8日、企業や自治体、大学、地域住民が一体となって、安心・安全なまちづくりに取組む「だいじょうぶキャンペーン」の一環として、危機管理学セミナーが行われました。
「だいじょうぶキャンペーン」危機管理学セミナー 「日本が生き残るための国際戦略とアフリカ政策」 千葉科学大学 ムウェテ・ムルアカ教授 (cis.ac.jp)
第4回目の今回は、千葉科学大学教授のムウェテ・ムルアカ氏を講師に迎え、「日本が生き残るための国際戦略とアフリカ政策」をテーマにご講演いただきました。ここでは、その一部をご紹介します。
千葉科学大学は千葉県銚子市にある為、生活の拠点を神奈川県から千葉県に移した可能性もあるのかもしれません。
ムルアカさんの経歴が超絶優秀過ぎ‼

〇ムルアカさんの経歴まとめ
- 1961年6月21日 コンゴ共和国ザイール共和国にて出生(現在はコンゴ民主共和国)
- 1981年 国立イナザ・イスタ大学電気通信工学科を卒業
- 1981年 ザイール国営放送局に入社しジャーナリストとして活動
- 1985年 日本来日
- 1987年 東京電機大学工学部第二部電子工学科に入学
- 1989年2月 昭和天皇の大喪の礼期間中にザイール共和国大統領のスペシャルアシスタント兼専属通訳を務める
- 1992年6月 ザイール共和国大統領府スペシャルアシスタント就任
- 同年7月 ザイール国営放送局日本代表就任
- 1993年 東京電機大学卒業、同大学応用電子工学科研究生
- 1995年4月 在日コンゴ民主共和国大使館通商代表機関代表就任
- 1999年 博士論文「可搬型肺磁界測定装置の開発とその応用」にて博士(工学)の学位取得
- 2000年東京医科歯科大学で肺磁界測定装置の研究に従事、駒沢大学非常勤講師、白鷗大学非常勤講師、コンゴ民主共和国日本通商代理機関常任理事などを歴任
- 2002年 コンゴ民主共和国国立キンシャサ大学客員教授
- 2003年 加計学園参与
- 2005年 日本国籍を取得し、帰化。
- 2007年 神奈川工科大学特任教授
- 2009年 千葉科学大学教授
ムルアカさんの経歴を調べてみると鈴木宗男さんの秘書のイメージが強いようですが、本来は日本に電気工学を学びに来日したようです。
その後、大学で博士号を取得し数多くの大学で非常講師を経て教授として活動をされます。
また、小さい頃から体が大きく5歳から空手を習い、14歳でプロ格闘家としてデビューした経歴もあります。
鈴木宗男さんを尊敬し息子につけた名前はムネオ

ムルアカさんは鈴木宗男さんの私設秘書を務め、尊敬し過ぎるゆえに長男の名前をムネオと名付けます。
自身の長男の名前は鈴木宗男からとって、ムネオと命名している
ジョン・ムウェテ・ムルアカ – Wikipedia
ムルアカさんが鈴木宗男さんをいかに慕っていたかが、鈴木宗男さんのコメントで伺えます。
宗男氏は「日本人以上の『日本人精神、義理、人情、恩義』を忘れず、私を慕ってくれた。何ということかとただただ涙してやまない」
鈴木宗男氏が、ブログで秘書ムルアカさんが飛行機内で亡くなっていたと明かす(スポーツ報知) – Yahoo!ニュース
まとめ
今回は、ムルアカさんの現在の活動や経歴について調べてみました。
ムルアカさんのご冥福をお祈りします。